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2025.03.24

西裏市場2024イベントレポート (後編)

西裏市場2024イベントレポートの後編では、西裏地区を中心に街を再び盛り上げていくという視点から西裏市場をなぜ開催したのかについて事務局として綴ってみたいと思います。

 

「西裏」は関東屈指の繁華街だった

そもそもこのプロジェクトは富士吉田市役所から「観光の文脈から西裏地区をどうやったら盛り上げられるだろうか?」という相談から始まりました。そこで有志で事務局を結成して話し合う中で西裏市場は生まれました。

まず、ある地域やブランドなどの息を吹き返すには、そこにあった物語や歴史を紐解き、その街の個性を理解して、未来につなぐ企画を考えていこうと思いました。

では西裏地区とはどんな街だったのか。

富士吉田市の中心市街地には、東の「東裏」に問屋街、西の「西裏」に歓楽街があり、織物工場(街では「機屋さん」と親しまれている)と商人たちの街でした。東裏には多くの機屋さんがいて、好景気に沸いた時代がありました。その賑わいは「ガチャマン」と言い、ガチャンと1回織ると1万円入るほどだったとも言われています。そんな彼らが商売を終えて繰り出した夜の街が「西裏」という繁華街でした。

当時、西裏には200軒を越えるお店があり、他地域からも大勢の客たちが集まる関東屈指の歓楽街でした。西裏からは酔っ払った人々の笑い声や芸者さんの三味線の音色が聞こえ、いつも人で溢れかえり通りを歩く人々は肩をぶつけながら歩いたと言います。

今でも街の人々から愛され、富士五湖地域を旅する人々の憩いの場としても親しまれて、数十件の飲み屋が軒を連ねています。当時ほどの活気は失われてしまいましたが、昭和の時代をあそび尽くした人々の気配が所々に残されています。

 

風景や会話、出会いを未来につなぐ

西裏にいた人たちの様子を具体的に調べて情景をイメージしていくと、様々な人々の交わりがあることがわかりました。

たとえば、機屋さんは市外、県外からの商人や業者を連れて行ったのが西裏でした。今でいう会食や接待のようなもので、街の人が遠方から訪れた人を連れて飲食店に行く風景が思い浮かびます。

他にも、「ミス富士コンテスト」は市内でかなり盛り上がるイベントだったそうで、月江寺界隈ではプロレスの興行も行われてた歴史もあります。月に一度の「停電日」と呼ばれる機屋さんたちの休日には、夜遅くまで街中に灯りがともり、人々はおしゃれをして買い物や映画を楽しんだそうです。友人同士や家族でワイワイと街に繰り出して、夜はきっと飲食店に入ってご飯を食べながら楽しく賑やかに過ごしたことでしょう。

西裏に脈々と色濃く受け継がれているのは、食を通してそこにワイワイガヤガヤとした活気ある会話があったこと。そして人々が交差する中で様々な出会いや、時には別れがあったこと。

そんな物語や個性をもとに、これからどんな未来をつくっていけばいいのだろうかということから考え始めました。

 

街歩きする食のマーケットイベント

事務局では、西裏が育んできた食を通して人々が交差する風景そのものをコンセプトに、食を中心とするマーケットイベントを開催して、街歩きを楽しんでもらうのはどうか、という企画を考え始めました。

すでに富士吉田市には通称「ハタフェス」と呼ばれる「ハタオリマチフェスティバル」もあり、市民も市外の方々も富士吉田で開催されるマーケットイベントに親しみがあるし、みんなおいしいものには目がない。

声をかけてみたい出店者をイメージすると、全国各地のイベントから声をかけられる中、今回は昭和の雰囲気が残る西裏の街中で出店していただけないかと聞いたら、きっと多くのお店が前向きに考えてくれるだろうという感覚もありました。また、西裏で飲食店を営む方々も、外からの出店者をお呼びして各地からお客さんを集客できたらきっとポジティブに考えてくれるだろうとも思いました。

ですが、お客さんが最後の課題でした。市役所からのお題は「観光の文脈から」というお題で、メインのお客さんは観光客とすることが前提だったからです。

幸い、富士吉田には現在、数多くの観光客が押し寄せています。お目当てはもちろん富士山。富士山と一緒に写真を撮ることです。

街の課題は、観光客の滞在時間が短く、写真だけ撮って日帰りする観光客も多く、街の活性化につなげ切れていないことでした。でも本当は富士吉田には西裏やいろいろな楽しみ方がある。市役所からのお題は「どうやって街の観光の楽しみ方を提案していけばいいか?」という課題でした。

観光客がいつ訪れているのかを観察してみると大半は日中に訪れていて、陽が沈むと一気に静かになります。理由はもちろん富士山は日中にしか見えないからです。

西裏は夜の街。でも観光客は昼に訪れる。どうすればいいか。ならば、西裏を昼の街として盛り上げてみようと考えました。

 

夜の街の昼の魅力を再発見

西裏だけでなく、全国各地に夜の街として栄えていた地域が、地場産業の衰退や過疎化で活気が失われてシャッター街となってしまっている地域があると思います。そんな地域をどうやって再び活性化させるかは全国各地が抱える課題の一つです。

富士吉田は面白いことに、日中のシャッター街に人が押し寄せています。目当ては富士山ですが、富士山をどうやって撮るかが大切なようです。富士吉田で言えば、新倉山浅間公園の忠霊塔で五重塔と一緒に撮ることや、西裏の昭和の面影が残る古い商店街と一緒に撮ることが観光コンテンツとなっています。

古さやさびれた様をポジティブな側面から見るとレトロやノスタルジックとも捉えられます。いつも新鮮な感性でワクワクしながら歩き回る観光客にとっては、富士吉田は富士山の麓のレトロでノスタルジックな街として楽しまれています。

また、富士吉田で2年に1度開催される、国内唯一の布の芸術祭「FUJI TEXTILE WEEK」で様々なアーティストやファッションデザイナー、編集者などの方々を西裏や中心市街地を案内する中で、国内外問わず様々な方々が口を揃えていたのは「この街は歩いて回れて、それ自体が楽しい」という点でした。ヨーロッパやアメリカで観光資源として考えられているウォーカブルシティに通じる街の捉え方です。

実は西裏には他にもいろいろな課題がありました。たとえば、西裏の雰囲気が暗くて近寄りがたいとか、なんとなく怖い印象をもつ市民がいるとか、夜の街によくありますが酔っ払いが時々喧嘩を起こして危険だとか。そんな課題は昼にはほとんど問題になりません。むしろ昼に開かれたイベントをすることでイメージアップすることも期待できます。

そういった様々な仮説のもと、夜の街である西裏で、あえて日中にマーケットイベントを開くことで、市民も市外のお客さんも、遠方の観光客も、訪日観光客も、みんな楽しめるのではないかと考えました。

そしてそれは、街を知る市民(事務局と市役所)がイベントを開催して、出店者やお客さんを市外から呼び込むという西裏を楽しむ人たちの昔から続く関係性であり、そこに友人や家族で楽しんでもらえるハレの日をつくれたら、西裏にあった風景を継承しながら盛り上げられるのではないか。

何より、西裏の中心にいつもあるのは「食」でした。人は誰かと共に「食べる」という行為を通じて、そこで様々な会話の花を咲かせ、出会いや交流が生まれます。西裏は昔も今もその最たる場所。

こうして、街歩きを楽しむ食のマーケットイベント「西裏市場」の開催に至りました。

 

30年後にも開催されることを目指して

西裏市場は30年先も愛されるイベントにすることを目指しています。

2024年の西裏市場を訪れた子供は2054年になれば大人になってきっとその子供を連れてきていて、今の大人はおじいちゃんおばあちゃんとなり、そんな先の未来では誰がどう企画して運営しているのかはわかりません。

でも、西裏の子の神通りので毎年開催される冬の名物イベント「子の神さんのどんど焼き」や中村会館で夏に開催される「納涼本町盆まつり」、織物産地の秋祭り「ハタオリマチフェスティバル」などのように、富士吉田で10年以上続くお祭りのように西裏市場も街に根付くお祭りに育てていくことを目指して立ち上げました。

だから、イベントの名前もできるだけ普遍的でカッコつけず、これから先どんなイベントになっても西裏という街を盛り上げ続けてくれるように「西裏市場」と題しました。そして、西裏が持つ多様性を包み込む懐の深さを生かして、老若男女誰でも楽しめるようなイベントに育てていきたいと考えています。

最後に、このイベントは事務局と市役所の力だけでは実現できません。

これからも西裏のお店の方々と共にイベントを盛り上げ続けていきたいですし、近隣住民の方には会場をお貸しいただいたり、近隣の大学生や事業者の方のボランティアスタッフの参加なしには運営ができませんし、地域の新聞社やテレビ局、ラジオ局にも発信のお手伝いをしていただいて周知していかないといけません。

西裏市場は、地域の人々と外から訪れる人々がおいしいと言いながら笑顔で会話を交わし、その温かな想いと協力が一つに重なって、愛され続けるお祭りへと育んでいきたいと思っています。やがてこのイベントが地域の誇りとなり、未来へと繋がる活気あふれる街づくりの礎となることを目指しています。

西裏の街を愛する方々と手を取り合って、これからも一緒にこのお祭りを続けていけることを願ってます。